世界の国歌/民謡集

世界の国歌や民謡などを紹介する場所です

スリランカ国歌「母なるスリランカ」

解説

セイロンとしてイギリスから独立した1948年に国歌を公募し、シンハラ語で書かれたアンナダ・サマラクーンの作品が選ばれる。翌日に開催された独立記念日の祝典で大学生たちが斉唱し、Sri Lanka Matha(母なるスリランカ )はラジオを通じて初めて全国に流された。1951年11月には初めて公式な国歌として採用された。
シンハラ語スリランカで生まれ、スリランカでのみ使われる言語で、パーリ語サンスクリット語タミル語の三つの言語が基になっている。文法や単語が日本語に似てるとも言われている。

歌詞

♪和訳例

母なるスリランカ

われらがスリランカ、我らは君をたたえる

あふれんばかりの豊かさ

愛に満ちた優美な麗しき国よ

実り多き穀物、甘く熟した果物

そして色とりどりの花の香漂う国

命とすべての良きことを与えん

喜びと勝利の祖国よ

我らの賞賛の声を受けよ

ランカ!われらは君をたたえる

 

タミル語シンハラ語歌詞(画像)

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トルコ共和国国歌「独立行進曲」

解説

独立行進曲(İstiklâl Marşı)は独立戦争の真っただ中であった1921年3月12日にアンカラの大国民議会政府で国歌として採用された。メフメト・アーキフ・エルソイによるこの歌詞は、751作品もの候補の中から選出された秀作。曲についても24名もの作曲家の競合となり、独立戦争に休止符が打たれた1924年にアリ・リファット・チャアタイの作品が選ばれた。ただし、現在の国歌は8年後に大統領交響楽団の指揮者を務めていたゼキ・ウンギョールが編曲したもの。歌詞はトルコ語。国民のほとんどがイスラム教徒であるにもかかわらず中東のイスラム教国としては唯一1928年からラテン語表記を採用している。また、北キプロス・トルコ共和国もこの国歌を採用してる。

歌詞

♪和訳例

恐れるな、消えることはない

夜明けにはためく赤い旗は

最後の家がある限り国旗は我のもの

国民のひとりひとりのもの

怒るな私が何でもしましょう、我らの新月旗よ!

勇敢なわが民族に微笑みを、愛と力を!この怒りは何だ?

我らの国旗のために流した血は

自由と独立がなければ無駄になる

神を敬うわが民族の独立は正当な権利なのだ!

 

トルコ語歌詞

Korkma, sönmez bu şafaklarda yüzen al sancak;
Sönmeden yurdumun üstünde tüten en son ocak.
O benim milletimin yıldızıdır, parlayacak,
O benimdir, o benim milletimindir ancak.


Çatma, kurban olayım, çehreni ey nazlı hilal!
Kahraman ırkıma bir gül! Ne bu şiddet, bu celal?
Sana olmaz dökülen kanlarımız sonra helal...
Hakkıdır, Hakk'a tapan, milletimin istiklal!

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イラン・イスラム共和国国歌

解説

1980年9月に勃発したイラン・イラク戦争は、終結までに8月もの歳月を要しただけに国力を疲弊させ、イラン国民のメンタリティに深い傷跡を残した。多数の戦死者を出した戦争の記憶がまだ生々しい1990年に、コンテストによって選ばれたハサン・リヤーヒ作曲のこの曲が国歌として採用された。「隠れイマームの再臨」と呼ばれ、1979年に巻き起こったイラン革命の精神的指導者でもあるウラマーホメイニ師の名前や、同革命が達成されたイラン歴第11月のバフマン月などが歌詞にも登場する。

イスラム原理主義国家として捉えられることの多いイランだが、ハミッド氏によれば「我々はペルシャ人という誇りをイスラム教徒であることと同じくらい誇りに思っている」と話す。他の中東諸国とは文化も文明も言語も異なり、隣国イラクとも日本と韓国ほどの違いがあるという。

 歌詞

♪和訳例

東の地平線から太陽が昇り

その陽光は信仰心あふるる者たちの

眼光となって差し込むだろう

バフマン月に成されたイスラム革命

我らの信念の輝き

ホメイニ師のメッセージ即ち自由と独立は

我らの命に刻まれてる

戦場に散った者たちよ

君らの叫びは耳に響いている

イラン・イスラム共和国は永遠に不滅たれとの

ペルシャ語

سَر زَد از اُفُق مِهرِ خاوَران
فُروغِ دیدهٔ حَق باوَران
بَهمَن، فَرِّ ایمانِ ماست
پَیامَت ای اِمام،اِستِقلال، آزادی نَقشِ جانِ ماست
شَهیدان، پیچیده دَر گوشِ زَمان فَریادِتان
پایَنده مانی و جاوِدان
جُمهورئ اِسلامئ ایران

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クロアチア国歌"Lijepa naša domovino"(我が美しき故国)

解説

この国歌の作曲者は定かではないが国境警備隊に新兵として配属されたヨシップ・ルンニャリンが1848年に書いたと言われる説が有力になっている。ミハノビッチの作品は北部スロベニアに拡がる詩的な田舎風景と素朴な生活を描き、今でも数多くの人々に愛唱されている。特に歌詞の書き出しとなった"Lijepa naša"(我が美しき)という言い回しは現在でもクロアチアを表現する接頭語のように日々の会話に登場する。例えば「『我が美しき』国の景気は良くなるのだろうか」といったように。音楽の教師であったバトスラブ・リヒテンガーが1861年に生徒と教師の為に合唱曲として編曲。その後歌詞にも手が加えられ1907年にはクロアチア合唱クラブ教会によって国歌として制定しようという動きも見られたが、セルビアを中核とする南スラヴ民族国家ユーゴスラビア王国の建国を望む声にかき消されてしまう。その後1974年に開かれたクロアチア社会主義共和国議会でようやく国歌として採択されたが、正式な制定は独立を控えた1990年の新憲法発布まで待たなければならなかった。

歌詞

♪和訳例


私たちの美しい故国
おお、何と勇敢で
おお、何と慈悲深いのでしょう
私たちの父が築いたいにしえの栄光よ
とこしえに神の祝福あれ
故国は我らが唯一の誉れ
故国は我らが唯一の宝
そう、我等はその平野と峡谷を愛す
そう、我等はそお丘と山々を愛す

2

サヴァ川、ドラヴァ川は流れ
ドナウ川はその勢いを緩めない
深き紺碧の海よ 世界に伝えてをくれ
クロアチア人はこの故国を愛すると

この平原が陽の口づけを受け入れしとき
樫の木が激しき風に鞭うたれるとき
愛しきひとが天に召されようとも
我らの心は故国の為に打ち鳴らされる

 

クロアチア語
1
Lijepa naša domovino,
Oj junačka zemljo mila,
Stare slave djedovino,
da bi vazda sretna bila!

Mila kano si nam slavna,
Mila si nam ti jedina.
Mila kuda si nam ravna,
Mila kuda si planina!

2
Teci Dravo, Savo teci,
Nit ti Dunav silu gubi,
Sinje more svijetu reci,
Da svoj narod Hrvat ljubi.

Dok mu njive sunce grije,
Dok mu hrašće bura vije,
Dok mu mrtve grobak krije,
Dok mu živo srce bije!

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ブルガリア国歌「愛しき祖国」

解説

この国歌は学生であったツヴェタン・ツヴェトコフ・ラドスラーフォフによって1885年に書かれた。彼はブルガリア公国に宣戦布告したセルビアとの戦いに加わり、戦場でこの曲を書き上げたという。

「愛しき祖国」は1946年に旧ソ連の影響下で樹立されたブルガリア民共和国において再び国歌として認められる。「マリツァ川の波音」と改題され、モスクワへの忠誠を誓った3節が加えられたが、長く続いた共産党政権が終焉を迎えた1989年には削除され、原詩へと戻された。翻弄され続けたブルガリアの歴史とは裏腹に「愛しき祖国」には雄大な自然が歌われている。東西に連なるスターラ山脈はブルガリアの代名詞ともいわれ、ローマ人もかつて「雪を戴いた山々」と賞賛した。

歌詞

♪和訳例

バルカンの山々は誇り高く聳え立ち
その隣では青きドナウ川が流れる
トラキアには太陽が照らし
ピリン山脈の上で燃えてる

愛しき祖国よ
君は地球上の楽園だ
君の美しさ、君の魅力は
ああ、それは終わりなきものなんだ

 

ブルガリア
Горда Стара планина,
до ней Дунава синей,
слънце Тракия огрява,
над Пирина пламеней.

Мила Родино,
ти си земен рай,
твойта хубост, твойта прелест,
ах, те нямат край.

 

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エチオピア国歌「親愛なる聖エチオピア」

解説

エチオピアはアフリカで唯一植民地化されることがなかった誇り高い国である。

この国歌は1994年12月に新憲法制定と時を同じくして作られた。国歌としては3番目にあたり、最初の国歌はハイレ・セラシエ皇帝時代、2番目は共産主義政権メギンストゥ時代に作られた。歌詞は公用語であるアムハラ語に使用されるギィーズ文字で書かれる。

歌詞

♪和訳例

民の誇りがエチオピアの大地に根を張り
民族の融合は国の隅々にまでゆきわたる
平和、正義、そして自由の為に
平等と正義の為に我等はともに立ち上がる
人道主義の強固な基盤のもとに
我ら国民はたゆまず働き続ける
エチオピアの貴重な文化の宝庫であり
偉大な勝利を表す国家だ
我等は共に英雄として立ち上がり
国家を守る責任を負う
エチオピアはわれらの誇り
われらは汝を誇りに思う

 

♪アムハラ語(一部機種では文字が表示されません)

የዜግነት ክብር በ ኢትዮጵያችን ፀንቶ
ታየ ህዝባዊነት ዳር እስከዳር በርቶ
ለሰላም ለፍትህ ለህዝቦች ነፃነት
በእኩልነት በፍቅር ቆመናል ባንድነት
መሰረተ ፅኑ ሰብዕናን ያልሻርን
ህዝቦች ነን ለስራ በስራ የኖርን
ድንቅ የባህል መድረክ ያኩሪ ቅርስ ባለቤት
የተፈጥሮ ፀጋ የጀግና ህዝብ እናት
እንጠብቅሻለን አለብን አደራ
ኢትዮጵያችን ኑሪ እኛም ባንቺ እንኩራ።

 

ラテン文字転写

yezēgineti kibiri be ītiyop’iyachini t͟s’enito
taye hizibawīneti dari isikedari berito
leselami lefitihi lehizibochi net͟s’aneti
be’ikulineti befik’iri k’omenali banidineti
meserete t͟s’inu sebi‘inani yalisharini
hizibochi neni lesira besira yenorini
dinik’i yebahili medireki yakurī k’irisi balebēti
yetefet’iro t͟s’ega yejegina hizibi inati
init’ebik’ishaleni ālebini ādera
ītiyop’iyachini nurī inyami banichī inikura።

イラン・イスラム共和国国歌

解説

1980年9月に勃発したイラン・イラク戦争は、終結までに8月もの歳月を要しただけに国力を疲弊させ、イラン国民のメンタリティに深い傷跡を残した。多数の戦死者を出した戦争の記憶がまだ生々しい1990年に、コンテストによって選ばれたハサン・リヤーヒ作曲のこの曲が国歌として採用された。「隠れイマームの再臨」と呼ばれ、1979年に巻き起こったイラン革命の精神的指導者でもあるウラマーホメイニ師の名前や、同革命が達成されたイラン歴第11月のバフマン月などが歌詞にも登場する。

イスラム原理主義国家として捉えられることの多いイランだが、ハミッド氏によれば「我々はペルシャ人という誇りをイスラム教徒であることと同じくらい誇りに思っている」と話す。他の中東諸国とは文化も文明も言語も異なり、隣国イラクとも日本と韓国ほどの違いがあるという。

歌詞

♪和訳例

東の地平線から太陽が昇り

その陽光は信仰心あふるる者たちの

眼光となって差し込むだろう

バフマン月に成されたイスラム革命

我らの信念の輝き

ホメイニ師のメッセージ即ち自由と独立は

我らの命に刻まれてる

戦場に散った者たちよ

君らの叫びは耳に響いている

イラン・イスラム共和国は永遠に不滅たれとの

ペルシャ語

سَر زَد از اُفُق مِهرِ خاوَران
فُروغِ دیدهٔ حَق باوَران
بَهمَن، فَرِّ ایمانِ ماست
پَیامَت ای اِمام،اِستِقلال، آزادی نَقشِ جانِ ماست
شَهیدان، پیچیده دَر گوشِ زَمان فَریادِتان
پایَنده مانی و جاوِدان
جُمهورئ اِسلامئ ایران

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